ジンテーゼ。

クソ女の良識と倫理観に欠けたお話。きっと名前はちさとちゃん。

尊いものっていう重み

 

来週末、友達が結婚する。

ちゃんと呼んでくれてありがとう、蛮族とかして炊いた米でライスシャワーするハメにならなくて良かった。

ちゃんと客人としてご祝儀を払いに行くゾ。

 

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結婚する友だちの幸せな姿をどんな気持ちで見るんだろう。

嫉妬とか憧憬とかそういう物とは違う、ぼんやりと純粋な疑問。同じ位置にいる筈だった自分の現実味が矢張り無くて。

 

現状の自分を鑑みて、何処で間違えたんだろうとふと思う事が多くなった。出会いもあって、レールが外れた心当たりが無いかと言われればあるし、かといってそれをあの時避けられたかも言えばノーだし、どの形でも今に終結していたような気もする。

あの時形を成していた好意の存在があれ以降全くもって影を見せない。

 

恋に似た好きは今でもたまに思うことはある。漫画を見たときの様な感覚、でもそれはきっと所謂社会的にloveではなくて憧れとlikeの最上級を混ぜ込んだものか、ただただ欲しいものを見つけてあれ欲しいって思うのと同じ話。

だから、愛情の大枠の中に含まれる性愛や特別感が違和感で仕方ない。一般的な恋人の様相が重みに感じていく。想像までは行って覚悟を決めて奪いに行く癖根っこの部分がそうだから耐えきれずに瓦解する。

 

誰かを好きになるチャレンジをしよう、という前にその世間的に尊くて美しいその重みを考えるだけで気持ちが冷めていく。手に入ったら満足するのと相まって、ただただ自分の中に虚無しか残らない。人間関係はメリットデメリットじゃないって言うけど、メリットデメリットだよ。人間の行動には理由が設定されていてそれを、その行動に見合う価値があるかを篩い分けてるだけ。

きっと色が違う。求める関係性も違う。だとしたら、端から終わることが決まっている恋をどう楽しめって言うんだよ。

 

好きな人が出来ても少女漫画のような気持ちで微笑ましく事無く終える方が余程穏やかだ。

 

「こうしたらきっと最適解なんだろう」って相手の希望を汲み上げて、叶える行為はきっと大人になった証跡なんだろう。

ただ、そうやって与え続ける生き方は自分の意思を無くすんだろうし、そう生き始めた時点で他人を下としてるんだろうけど、どちらもその形に生き易さを覚え始めてしまったらもう修正も何も出来ないんだろうな、

 

ね。もうそろそろ、息苦しくなってきたよ。