ジンテーゼ。

クソ女の良識と倫理観に欠けたお話。きっと名前はちさとちゃん。

夢見る乙女じゃいられない

 

幸せになりてえ幸せになりてえって言い続けてはや数年、セフレの作り過ぎで完全にセックスが嫌いになったし恋愛に疲れたし、かといって幸せになるその為の努力もしてないし、縛られるのが嫌いだし、そもそも「幸せ」なんていう無形物とか概念になりたいも何もねえんだよな。そういう幼稚園児の夢以下の話。

 

「うるせえ幸せに努力なんて要らねえんだよ」──これは理想論な訳ではないと思う。白馬の王子様が現れて迎えに、とか生まれつき金持ちで、超美形の婚約者がいる、とか漫画とかお伽話みたいな話でなくても。

凡そ平凡で、社会的に「普通」に過ごしていく人達も高望みしなければ気付かなければきっとそれも幸せなんだと思う。

 

人は皆持ってない物がある、家柄を含めた先天的な優劣から始まり、その持っていない様々を飲み込んで妥協して、折り合いをつけて今生を終えていきますけど。

「持ってないこと」を充足させるという目標を持ってして幸せを再定義していく訳で。

現実は目に見えた幸せなんていう圧倒的な変化、絶え間ない刺激、自己肯定感を満たす優位なんてものを手に入れる為の努力が必要な訳で。整形も、婚活も、人それぞれの「幸せ」の定義にあった努力のベクトルが何処を向いてるか、の違い。そうやって何度も再定義を繰り返して、やがて「幸せ」という到達点に向かっていく訳ですよね。

 

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幸せになりたいと口にしながら未だに自分の中に現実味だの具体性が湧かないのはその点やっぱり憧景以外の何物でもないし、別に本当に心の底から願ってる訳ではない。そうだったら良いなーとか、会社員の死にてえとかそのレベルのものなんだろうなあと思う。昔誰かに「夢とかあるんですか?」って聞かれたけど、もの心ついた時から夢とかそういうの無いです。

夏休みの宿題より、不仲だった教授とバトった卒論より「将来の夢」って作文が嫌いでした。

 

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幸せになってどうこうしたい、じゃなくて、「幸せになりたい」この言葉の呪詛感。

私の幸せってなんだ?と限りなく近い具体例を絞り出したら、残念ながら「手に入れる事」で、幸せは確かに存在するんだろうけど実感より早く潰える程短期的な物なんだろうなあ。そして、幸せになりたいって「幸せになり続けたい」で、その短命な幸福を継続させる事っていう途方もない話。

そもそも持ってる私が欲しがるのは自分でどうこう出来ない「人の心」とかそういう話で、「手に入れたい」けど「愛されたい」訳では無いから気持ちが余剰で、恋愛でいう付き合ったら飽きちゃうに繋がるんだと思う。不毛な行為ですね、人参を前に吊るされた馬と一緒。

 

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あ、もちろん今回話してる全ては主観的幸福の話ですよ。下が沢山居るから今ある幸せで妥協しろ、みたいな圧力って結局奴隷しか産まないですもんね。

努力して必ずしも報われるとは限らないのと一緒で、再定義し続けても幸せになれるとは限らないとは思います。0から1にする事は大変な事です。何かしらの原石を磨く事に意味はあるとは思うけど、そういう時は達成する為の努力も、平凡に妥協する為の努力も足りないんですよ。

 

 

 

他人の幸せの方が見てて楽。責任も付随しないし、映画を見てるのと同義なのかもしれない。なので私は、嫌いな人以外の幸せを願い続けますし結婚式でもご祝儀を出します。是非呼んでください。