ジンテーゼ。

クソ女の良識と倫理観に欠けたお話。きっと名前はちさとちゃん。

始まるは、終わるということ。


好きな人が出来て、付き合って、結婚して。
一般像の幸せと揶揄されながらも、それはとても素敵な話で素晴らしい話だと思う。
し、出来るなら自分もそのサイクルに入れれば良いと思う。

本題は少し後だよ。大体1300文字後くらい。

最近、「なんか、欠けてんな。」と、思った次第です。愛してくれるパパやダーリンとか、セフレはいますし、婚約破棄した話は記憶に新しいんですけど、こうなんて言うかな。
「終わる」って分かりきっている感じ。交際は長いスタートなんですけど、ゴールが既に目に見えてる感じなんですよね。馬鹿になれない。女心と秋の空、恋に恋する乙女心というのか、もうそろそろ来年には四捨五入のアラサーカウントダウン入りそうな良い年なんですけど。追っかけ続けてないと、続かないって分かってきちゃった。

飽き性、というのか。
落としたら終わりの人種なんですよね。ゲームでキャラを攻略したらEND、みたいな。
だから婚約までいったのは本当に奇跡的で、いや、もしかしたらずっとクソ交際期彼氏(※婚約破棄した話参照、)「追っかける側」だったからこそゴールにならなかったのかもしれません。愛と恋は違うし。きっと。恋に恋していた。叶わない夢が良いというか、永遠に少女漫画のヒロインが良い。
結果は悲劇でも喜劇でも良い、ただそれは少なくとも幸せになれるルートではない。

結ばれた後、交際期間はサイドストーリーというか、恋人ごっこに近いのかもしれません。ほら、ギャルゲーとかエロゲの共通ルートより分岐ルート個別ルートの方が短いじゃん?そういうこと。いや、嘘ついたかもしれません。

その先、知識としては知ってるけど、自分の中では神話とかお伽話に近くて続け方が分からない。
「恋人たちの分かれ目は三年目」って言いますけど、続けられる限度、それが私が五日とか二週間なだけで。

大体三年経てば何かしらあるんですよ、そろそろ結婚しようか。とか、「仕事変わるかも…」、とか。

特に前者、結婚なんてハッピーイベント、マンネリ化してきたソシャゲのテコ入れみたいなものでしょうし、一時的にでも新婚気分という付き合いたての気持ちが味わえるでしょうし、

結婚した先には子供、子供は成長して定期イベントが発生するから分かれ目もクソもない。

 

というのが、私個人の推論なんですよね。
だから、三日とか五日とか二週間とかの短期間だとそんなイベントはほぼほぼ起こらないし、

結果的に私のモチベーションが耐えきれなくて子供がオモチャに飽きるみたいな現象が起こる。相手から相応の熱量が来ると急に現実に戻る。さっきまで、夢の乙女ゲームのプレイ中だったのが急に現実味を帯びてくる。落差はきっとダムで電力が発電出来るくらいだと思う。

でも、実際。そういう「節目の三年」を迎えた人達って、結婚とかまで持っていける人は良いですけど、

対人間を相手にしているから別れる別れないということに揉めることを考えて、別に別れるほどでもない、という消極的選択によって関係が続行される事の方が多い気がするんです。
私は(クソ短いのもありますが、)そこで感じるデメリットとか、ストレスが大きくて揉めようが何しようが「無理!」ってなっちゃうんですよね。

 

話は変わって。

私の家は裕福だと思う。嫌味とか、自慢とかじゃなくて。まあ、今は「だった」が正しいんですけど。
二十余年培われて来た思考は如何にもし難くてだから、与えられて当然だと思っているし、叶って当然だと思っている。傲慢だろうが、なんだろうが。何もかも、紆余曲折経たって手に入る事が前提なのだ。

だから手に入らない物は欲しいし、執念深く追っかけるんだと思うんですね。
底辺クソ彼氏とのラブラブ恋愛盲目期こじらせ過ぎていた頃にも、この「終わり」とやらは頭の片隅にあって、その「終わり」に怯えていた時もありました。
まぁ、結果的に大変クソ彼氏の放置プレイを食らって悲劇のヒロインに浸っていたんでロスタイム期間に入ったんですけど、延長戦。
勿論、自己肯定感は諸々が叶って当然という自覚の割には初カレの八股play引きずって薄いから、開始は出来るけど、維持は出来ない。「落としたら終わり」、「飽きた」に近い。


正確には、全部アッパーリミットかもしれないね。幸せになりたくない病。自己肯定感の低さ。愛してくれる人は欲しいけど、自分を愛する人を好きになれない。こんな幸せが受け入れきれないから自分の幸福値を下げちゃおう!

 

 

 

だから。私は責任を持ちたくないですね。関係性に。

本題というか結論。当たり前ですけど、独りよがりが過ぎてロクに離縁後に友人に戻れた試しがないです。

以上。